今回はこちら「桑名宿」です。桑名ってイマイチぴんとこないなぁ〜なんて思っておりましたが、先日行った「宮宿」と七里の渡しで繋がってたんですね〜
七里の渡しはもちろん九華公園や六華苑なんてかなり見応えのある箇所を歩いてきましたので、最後までお付き合いください〜
桑名宿のざっくり概要と歴史
桑名宿は東海道の42番目の宿場。地理的には伊勢湾の入り口に位置し、古くから交通・水運の要地として栄えてきました。「その手は桑名の焼き蛤」というフレーズでも有名です。(ネット情報💦)
江戸時代になると桑名藩10万石が置かれ、城下町としても発展。特に、熱田(宮宿)から船で約7里(約28km)を渡る“海上ルート”の玄関口として、旅人・物流の中心となったみたいですね〜。
まずは「九華公園」へ
桑名城の本丸跡につくられたのが、この九華公園(きゅうかこうえん)。地元の人の散歩コースとしても愛されていますが、観光として訪れてもめちゃくちゃ気持ちのいい場所です。
城跡らしく堀がしっかり残っていて、春はお花見、秋は紅葉の名所としても知られているみたいです。藤枝市で言うところの蓮華寺池公園ですね笑。ぼんやり歩いていると、「城下町だった頃の雰囲気、確かにあったんだろうなあ…」と自然に思えてくる場所でした。
ここは散歩するだけでも十分に楽しめて癒されるので、おすすめです。
実際に見てきた史跡たち
毎度毎度、時間に追われていつも駆け足な感じですが、そんな中でも実際に見てきたものを紹介していきますね〜
桑名城天守台跡
まず、城好きにはたまらない天守台跡。
現在は天守そのものは残っていませんが、石垣を見ているだけでも「ここにどんな建物があったんだろう?」と想像が広がります。桑名城の天守は江戸時代初期に建てられたと言われていますが、火災などで早い時期に失われたとも。
天守がなくても、台座の上に立つと風が抜けて気持ちよく、「城主になった気分で景色を眺める」というプチ体験ができます。


精忠苦節碑
名前からしてめちゃくちゃ厳粛で苦労した雰囲気が漂う精忠苦節碑。
これは幕末期の桑名藩士たちを讃える碑で、歴史の中で苦難に耐えながら藩を支えた人々に思いをめぐらせるきっかけになります。読めば読むほど「当時の桑名って本当に激動の時代を生き抜いてきたんだな」と感じるはず。

楽翁公御歌碑
こちらは白河藩主としても知られる「松平定信(楽翁公)」の和歌を刻んだ碑。
歴史に名を残す人物の言葉が、石となって残っているのを見ると、なんだか時間を飛び越えて会話しているような気分になります。九華公園の静かな空気ともよく合っていて、ついつい長居してしまうスポット。
松平定信のことを楽翁公と言うのは今回はじめて知りました笑

九華天神・神牛像
天神さまといえば天満宮にまつられている学問の神様、菅原道真。その天満宮にある「神牛」と呼ばれる牛と関連があるんでしょう。
と同じく鎭國守國神社の中にあって最初に見た時はビックリしました。


港側へ移動して、「七里の渡し」へ
桑名を語るうえで絶対外せないのがここ。宮宿の「七里の渡し」に行ってきたばかりなので、なんだか感慨深いです。と同時に当時とは比べられないくらい交通が便利になったんだと、当たり前のことを考えてしまいます。

七里の渡跡
東海道の中でも唯一“海を渡る”スポットとして有名で、旅人はここから船に乗り、伊勢湾を横断して宮宿(熱田)へ向かいました。
跡地には記念碑や案内板が整備されていて、「昔の旅って、今の何倍も大変だったんだな…」としみじみします。海に向かう風景を眺めているだけで、当時の旅人の緊張やワクワクが伝わってくるようです。

桑名城 蟠龍櫓(水門総合管理所)
港沿いにある“ちょっと変わった存在感”の建物が、この蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)。
今は水門管理所として利用されていますが、外観は櫓(やぐら)風に仕上げられていて、港と歴史の風景が混ざり合う独特の雰囲気をつくり出しています。「あ、これは写真撮りたくなるやつだ」と思う人も多いはず。はい・・・しっかり写真撮りました笑


七里の渡し公園
渡し場跡からすぐのところにある小さな公園で、休憩ポイントにも最適。園内はしっかりと整備されてるようで見てるだけで心癒されます。


六華苑
そして今回、桑名を訪れてびっくりしたのがここ。桑名観光の“決め手”といってもいい場所じゃないかなぁ。


六華苑とは?
六華苑(ろっかえん)は、実業家・二代目諸戸清六の邸宅として建てられた洋館と和館、そして広大な庭園からなる文化財みたいです。
洋館部分は、あのジョサイア・コンドルが設計したことで知られています。コンドルといえば、上野博物館や鹿鳴館の設計でも有名な人物。「まさか桑名にコンドル建築が!」と驚く人も多いです。
ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852年9月28日 – 1920年6月21日) は、イギリスの建築家。明治政府によって通称「御雇外国人」として日本に招聘された[1]。明治10年に、工部大学校(現・東京大学工学部)の造家学(建築学)教師として来日して、西洋建築学を教えた。そのかたわら、明治期の洋館の建築家としても活躍し、上野博物館や鹿鳴館、有栖川宮邸などを設計した[2]。辰野金吾はじめ創成期の日本人建築家を教育し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。明治23年に退官した後も民間で建築設計事務所を開設し、ニコライ堂や三菱1号館など数多くの建築物を設計した[2]。
日本人女性を妻とし、日本画、日本舞踊、華道、落語といった日本文化の知識も深かった。河鍋暁斎に師事して日本画を学び、与えられた号は暁英。

洋館の醸し出す“異国感”
苑内に足を踏み入れると、明治・大正の香りが一気に広がります。
塔屋のフォルム、優雅な曲線、内部の装飾。細部を眺めているだけでも「これ絶対、建築好きに刺さるやつ…」というポイントが山ほどあります。白を基調とした外観は空に映えて、写真を撮ると本当に綺麗。
時間がないとは言いながらも、ここだけは割としっかりと見て回りました〜


和館とのミックスが最高
六華苑の面白さは、洋館だけでなく和館+庭園との組み合わせにあります。
和館に移ると雰囲気がガラッと変わり、落ち着いた和の空気がふわっと漂い、庭の緑と相まってまさに“日本の美”という感じ。
「洋館に圧倒された後に、このしっとり感はズルい…」と思うくらいギャップが心地良いです。


庭園を歩くと、時間がゆっくり流れる
庭園は池泉回遊式で、歩くたびに景色が変わっていきます。
池に映る洋館のシルエット、庭の向こうに漂う和館の佇まい。その両方が混ざり合う景色は六華苑ならでは。季節ごとに表情も変わるので、春夏秋冬どの時期に来ても楽しめます。
いやぁ、ここは本当におすすめです。もうかなり有名だと思うのですが、僕みたいにその存在をしらない方に届けばと思います。



まとめ
桑名宿は「宿場町としての歴史」「海を渡る東海道の特異性」「城下町としての表情」「港町のにぎわい」など、いくつもの顔を持っています。
九華公園の穏やかな時間から始まり、城跡の歴史に触れ、港の風を感じ、そして六華苑で明治の美意識に浸る――。こんなに変化が大きいルートは東海道でもそんなになさそう。
のんびり歩くだけで、“江戸・明治・現代”を行ったり来たりできる町、桑名。
もしまだ行ったことがなければ、ぜひ一度歩いてみてください。歴史好きも、写真好きも、建築好きも、きっと満足するはずです。



