No.43 旧東海道「四日市宿」を歩く。商人の町が生んだにぎわいと歴史をゆるっと巡る旅

さて桑名宿を後にしてやってきました四日市。四日市と聞くと多くの人が「工業地帯」を思い浮かべると思うけど、実は東海道の宿場町としてもそこそこ大きかったみたいなんです。

普段は車でスーッと通り過ぎちゃう場所も、毎度レンタルサイクルで回って「お、こんな場所があったんだ!」っていう発見をしてきました。

というわけで今回は、旧東海道の「四日市宿」をゆるっと散策しながら、その歴史と見どころを紹介していきます。

目次

四日市宿ってどんなところ?

四日市宿は、東海道五十三次の四十三番目の宿場
位置的には桑名宿の次で、海の玄関口だった桑名と、伊勢方面へ向かう入口としてにぎわっていた地域です。

名前の由来はシンプルで、「四日」に市が立ったことから「四日市」みたいです。
市が開かれたのが「毎月四日」だったわけで、そこから町が発展していき、やがて宿場にもなり、江戸時代には物資運搬と旅人で非常に活気があったエリアです。

四日市のすごいところは、「陸路の宿場」+「海路の湊町」という二つの顔を合わせ持っている点。
東海道を歩く人、伊勢参りに向かう人、商売で行き来する人…さまざまな人が行き交い、それが街の活気にもつながっていました。

宿場の規模もそこそこ大きく、本陣1・脇本陣1・旅籠約40軒前後という、まさに「泊まる場所には困らなかった宿場」。
三重県北部の中心としての役目もあったので、商人町としても強く、文化の入り混じった街だったようです。

現在の旧東海道

四日市宿の歴史をちょっと深掘

四日市が歴史上重要なポイントになったのは、まず「市」が開かれたこと。そして海に面している立地。

昔は伊勢湾を使った海運が栄えて、陸だけじゃなく海の物流の中継地点としても発展していきました。
その後、江戸時代に東海道が整備されると、四日市は正式に宿場として指定され、港の役割と宿場の役割の両方を担うようになります。

特に参勤交代の大名行列や、伊勢参りの客、商人たちが多く通る場所だったので、街は活気にあふれていたそう。

もうひとつ重要なのが、四日市は「御三家・紀州藩」の影響下にあったという点。
この地域一帯は紀州藩の蔵米地だったり代官所が置かれたり、政治・経済の拠点としても機能していました。

徳川御三家(とくがわごさんけ)は、江戸時代において徳川氏のうち宗家たる将軍家に次ぐ家格を持ち、徳川の名字を称することを認められていた3つの分家。単に御三家(ごさんけ)、三家(さんけ)とも呼ばれる。一般的には、江戸幕府初代将軍徳川家康の男子をそれぞれ家祖とする尾張徳川家(尾張家)、紀伊徳川家(紀伊家)、水戸徳川家(水戸家)を指すことが多い。ただし、当初からこの3つの家が明瞭に「御三家」として扱われていたわけではない(後述)。

wikipedia

宿場としての機能に加えて、「行政の中心地」という面もあって、そのおかげで“宿場町のわりに整備も商売も強かった”という背景があります。

今の街並みを見ると近代化が一気に進んだ印象があるけど、実は江戸期からずっと「商いの町」だったんですよね。

四日市宿を巡る見どころ

実際に僕が自転車でヒーヒー言いながら回ったポイントをいくつか紹介します。

諏訪神社・誓之御柱(うけいのみはしら)

四日市宿の中心にあるのがこの諏訪神社。
市街地の真ん中にあるのに、境内に入るとふっと空気が変わる感じがあって、地元の人からも長く愛されている神社というのがわかります。

ここの見どころは、なんといっても「誓之御柱(ちかいのみはしら)」。

名前だけ聞くと “何それ?” ってなるけど、簡単に言うと「五箇条の御誓文を象徴する記念碑である」とWikipediaにあります。なんか国内に現在5箇所しかないんですって。

誓の御柱(ちかいのみはしら[1])は五箇条の御誓文を象徴する記念碑である[2]。五角形の尖塔の各面に御誓文の各条文を刻む[3]。1926年から1934年までの間に少なくとも7か所で建設された[4]。そのうち現存を確認できるのは、琵琶湖の多景島[5][6]、愛知県立半田高等学校[7]、同県半田市乙川白山公園[8]、秋田県男鹿市寒風山[9]、三重県四日市市諏訪公園[10]の5か所である。日本国内に数基しか存在しない希少なものである[9]

wikipedia

境内はそこまで広くないけど、歴史の重さと地域の人の信仰がギュッと詰まっていて、商店街にも近く、宿場歩きのスタートにもぴったりな場所です。

道標(旧東海道)

旧東海道沿いに点在するのが「道標」。これが残っていると、一気に“宿場を歩いている感”が増すんですよね。地味ではありますがこれがある宿場町とそうでない宿場町とでは、散策のワクワク感が違います。

四日市宿に残る道標は、江戸末期〜明治初期のものが多いらしく、、当時の道案内がそのまま残っているのが最大の魅力。

今は道路が整備されて車が行き交う現代の街だけど、この石を見つけると急に“江戸の風”が吹く感じがあって、いいアクセントになります。

旧道を歩くならぜひ探しながら歩いてほしいポイントです。

四日市宿陣屋跡(四日市代官所跡)

四日市宿の歴史を語るうえで外せないのがここ、四日市宿陣屋跡
宿場の行政を司り、年貢の管理から治安維持、商人や農民への指示など、地域の中心だった場所です。

紀州藩の支配下にあったことから、代官所の規模もわりと大きかったようで、
「四日市=商人の町」という印象のベースには、こうした行政の存在があったんだなぁと感じます。
今は建物自体は残っていませんが、四日市市立中部西小学校の横に説明板が整備されていて “ここが四日市の中枢だったんだ” というのがよく分かるスポット。

東海道四日市宿資料館

かつての宿場町 四日市宿(江戸時代の東海道の43番目の宿場町)に関する歴史・文化を伝える資料館みたいです。
コロナ以前は普通に開館していたみたいですが、現在は日曜日のみの開館で、僕が行った時も閉まっていました・・・

もともと耳鼻咽喉科の病院「福生医院」の跡地を利用して整備されていて、そこも面白いし好感度あるわー
ぜひ中を拝見したかった。

入館料は無料で、展示品は 戦国〜江戸〜明治・昭和初期にかけての歴史資料、地域の庶民文化、芸能資料、古道具などを含め、500点以上が収蔵・展示されているみたいです。

なが餅笹井屋 本店(これぞ四日市名物!)

四日市で外せない名物といえば 「なが餅」
笹井屋は創業450年以上という老舗中の老舗で、東海道を歩く旅人にも昔から大人気だったお店のようです。
・・・四日市に来て知りました💦

以下はなが餅笹井屋公式サイトより

古くは東海道の宿場町として栄えていた四日市。天文19年(1550年)、笹井屋の初代彦兵衛氏が、東海道と伊勢参宮道との追分にあたる「日永(ひなが)の里」で、地名にちなんだ「なが餅」を作り始めました。つぶあんの入った餅をのばし、両面を香ばしく焼いたもので、伊勢詣でに来る人々の間で評判のお菓子となりました。その名称も日永の餅、長餅、笹餅、などと称せられ、「なが餅」の今日に至っています。三十六万石の太守、藤堂高虎も足軽の頃、笹井屋の「なが餅」を出世払いで食べ「武運のながき餅を食うは幸先よし」と大いに気に入り、大名になった後も何度も店に立ち寄ったという言い伝えも残っています。なが餅の素朴な味わいは、時代を越えて今も人々の心を満たし、四日市の銘菓として愛されています。これからも「なが餅」に誇りを持ち、誠実に作ることを大切にしてまいりたいと思います。

甘さ控えめみたいなので、甘いものが得意じゃない人でもペロッといけるはず。

なぜか僕が行った時は閉まってたんだよな〜。今までの東海道宿場の取材も結構、訪れてみたら閉まっていた、というシーンが度々あるような。

東海道 浮世絵ポイント(広重の世界が今も残る)

四日市宿の風景は、かの有名な歌川広重『東海道五十三次』にも描かれています。
広重の四日市は「三滝川の土手を歩く旅人」という構図が有名。ちょうどこのページの上部にある浮世絵ですね。

静かな川沿いの風景と、地元の人が川を渡るシーンが描かれていて、宿場としての素朴な味わいがよく出ています。

ここはその浮世絵の情景と同じ構図で写真が撮れる「浮世絵ポイント」が整備されていて、
「おお、ここが広重の描いた世界か……」
とちょっとロマンを感じられる場所になっていますが・・・どのポイントからの構図が絵になったのか僕にはわかりませんでした💦。

旧東海道の散策に浮世絵が絡んでくると、一気に世界が鮮やかになりますよね。
現地に行ったらぜひ広重の絵と見比べてほしいスポットです。

まとめ:四日市宿は“歴史×商い×旅”が重なる魅力たっぷりの宿場

四日市って、正直「工業のイメージが強すぎて宿場の歴史を忘れがち」な街なんですが、歩くと本当に深い。
市から発展した商人の町、海と陸の要衝、紀州藩の拠点、旅人が行き交う宿場……

いろんな役割が重なったからこそ、四日市宿は個性の強い宿場になったんだなぁと感じます。
道標で江戸の旅人と同じ景色を想像したり、なが餅で“旅のおやつ”を味わったり。

ただ歩くだけでも歴史の断片が自然と目に入ってくるのが四日市の魅力です。

近代的な街の中にも、旧東海道の面影がそっと残っている。
そんな“二面性のある宿場”を、ぜひゆっくり歩いてみてほしいです。

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この記事を書いた人

藤枝市地域おこし協力隊、俳優。東京で20年以上の俳優活動を経て、2023年に藤枝市に移住。現在も劇団ユニークポイントで俳優として活動。藤枝市の観光・歴史、文化芸術などの情報を発信しています。

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