No.12 沼津宿

目次

沼津宿

今回は12番目の宿場である沼津宿のご案内です〜
沼津宿は、本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠55軒で住民も多く、天正10年(1582)に武田氏が三枚橋城を築いて以来、城下町として栄えきました。

ちなみに広重の浮世絵は狩野川の河口が描かれています。現在の狩野川はこんな感じでした。ちょっと分かりずらいですね💦

沼津宿のお城

沼津宿があった辺りは現在の静岡県沼津市大手町付近だったみたいです。この辺りは元々「三枚橋城」と呼ばれる武田勝頼が築城したお城がありました。1579年に築城された三枚橋城はその後、松平康親や豊臣秀吉の家臣中村一栄などが城主になったのですが、1613年に廃城となったみたいです。

そこから約160年後に水野忠友が沼津城を築城したみたいです。そして沼津は城下町として栄えた歴史を持ち沼津城はその後、兵学校として使用されてやがてその兵学校も廃校になり、1872年に解体され今ではその姿を見ることはできません。

現在、沼津城の本丸跡の碑が中央公園にあります。

城の石垣

この辺りには三枚橋城の石垣が残されている箇所をちょこちょこ見かけます。一番分かりやすいのは「沼津リバーサイドホテル」の正面に飾られている石垣です。なんでもホテルの建築現場から発掘されたみたいです。

リバーサイドホテル

若山牧水の眠る乗運寺

沼津宿にある乗運寺にはあの若山牧水が眠っています。松の木や緑に囲まれた立派なお寺でした。一歩足を踏み入れると空気が全く違いますね。身を清められている気がします。

沼津の“千本松原”を愛した歌人・若山牧水のお墓もひっそりとあります。


千本松原

駿河湾岸に沿って約10キロの松原があります。こちらの松原は日本百景、日本の白砂青松100選に選出されているみたいです。
確かに立派だし壮大でした。先ほどの乗運寺の開祖・増誉上人が植えたものが元々の始まりだと言われているみたいです。

目の前が駿河湾があり、潮風を感じながら松林の中を歩くと、もう癒されまくりです〜

そして若山牧水の歌碑も設置してあります。

「幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」
意味:これから先、いったい幾つの山や川を越えて行ったら、寂しさが尽き果ててしまうような国に至るのであろうか。その思いを胸に、今日も旅を続ける。

こちらの千本松原から沼津港の方に進んでいくと若山牧水記念館もありました〜
ご興味ある方はどうぞ〜

沼津宿その他

沼津宿の中で唯一江戸時代と同じ道幅で残っているのが「川廓通り」と言って旧東海道標識が立っていたり、近代的小学校発祥の地の碑が建っていたりと、ところどころに歴史を感じさせる物が存在しています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

藤枝市地域おこし協力隊、俳優。東京で20年以上の俳優活動を経て、2023年に藤枝市に移住。現在も劇団ユニークポイントで俳優として活動。藤枝市の観光・歴史、文化芸術などの情報を発信しています。

目次