田中城下屋敷〜徳川家康ゆかりの城〜

静岡県藤枝市の田中城下屋敷

今回は藤枝市の観光で歴史資産は?と言われたらすぐに名前の上がる田中城市下屋敷に行ってきました〜
ちなみに田中城の本丸跡は現在、西益津小学校内にあります。

目次

田中城下屋敷とは?

徳川家康が鷹狩りの際に度々滞在したと伝えられている田中城。その田中城は今から500年ほど前、この地の豪族である一色氏が今川氏の命を受けて、その屋敷を拡大して城としたのがその始まりだといわれています。

そして江戸時代後期、田中藩主である本多家の庭園として、田中城の東南隅にあった下屋敷が使われました。
その後、史跡公園として「田中城本丸櫓」「茶室」「仲間部屋・厩(うまや)」「長楽寺村郷蔵」など田中城にゆかりのある建造物も復元されました。

庭園として使われていたので、敷地内を散歩するだけで癒されます〜

田中城下屋敷のご案内

下屋敷内には「田中城本丸櫓」「茶室」「仲間部屋・厩(うまや)」「長楽寺村郷蔵」などの復元された建造物があります。

田中城本丸櫓

元々田中城の本丸にあり、高さ約2.7mの石垣の上に建っていたといわれます。
明治維新によって田中城には高橋伊勢守(泥舟)が入りました。村山氏はその配下にあり、しかも泥舟の4男を養子とした関係で明治3年この櫓の払い下げを受け、移築して住宅としました。また泥舟はこの建物を「光風霽月楼」と名付け扁額を掲げています。屋根はもと柿葺であったようです。田中城内より移築した建造物の中で昔から最も著名な建物です。(パンフレット資料より)

この櫓に入ると鷹狩りをしている徳川家康が迎えてくれます。
中には田中城の地図などがあり、3階部分からは下屋敷内が一望できます。

茶室

茶室からの眺め

この茶室は明治38年頃、屋敷内に移築したといわれています。もとは田中藩家老の茶室であったと伝えられていますが、下屋敷にあった「茶屋」とみられています。また茶室からの眺めもよく、のんびりできそうです。

仲間部屋・厩(うまや)

古くから、大洲村の大塚家にある長屋門は田中城内より移されたといわれてきましたが、調査の結果、長屋門に付設された納屋がそれだとわかりました。
仲間部屋と厩とを1棟に仕立てた建物で、手前右側の鬼瓦には、城主、本多家の家紋が刻まれていました。また解体にあたって「安政6年」と書かれた板材が見出されており、建築年代もその頃と推定されます。
(パンフレット資料より)

この建物の脇を奥に入ると・・・‼️‼️ 馬です!

・・・本物ではありません。あくまでイメージですね笑

長楽寺村郷蔵

郷蔵とは、年貢米や飢饉に備えた非常米を保存するための蔵で、江戸時代には村ごとに置かれていました。村役人が管理しており、夜間は畳敷の小部屋に2人1組で泊まりこみ、夜番をしました。
長楽寺村の郷蔵は、明治10年頃に中西家に払い下げられました。この時郷蔵の半分を切り取り移築したものといわれ、本来は現状の倍の大きさであったとみられます。
長楽寺村郷蔵は、市内に現存する唯一の郷蔵であり、貴重な建築物です。また、建替えした時の年月と村役人の名が柱に書き付けられています。
(パンフレット資料より)

田中城下屋敷へのアクセス

藤枝駅からは車で15分ほど。
藤枝駅からはバスで最寄りの「藤枝大手」で下車して徒歩20分。(中部国道線[藤枝駅前~新静岡] 新静岡行)

バスの経路を調べる

車で行かれる際は駐車場があるのでご安心ください〜

駐車場にある案内板

1時間もあれば十分に見てまわれます。近隣の田中城本丸跡(西益津小学校)などと一緒に散策してみてはいかがですか?

施設情報

名称:史跡田中城下屋敷

開場時間:午前9時~午後5時(入場は午後4時30分まで)

入場料:無料

住所:〒426-0012 静岡県藤枝市田中3丁目14−1

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この記事を書いた人

藤枝市地域おこし協力隊、俳優。東京で20年以上の俳優活動を経て、2023年に藤枝市に移住。現在も劇団ユニークポイントで俳優として活動。藤枝市の観光・歴史、文化芸術などの情報を発信しています。

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